読書会のことなど

今週は、木曜日に予定されていた読書会の課題図書を読むのに必死で、ほかの本はほとんど開く余裕がなかった。
子どもの本といっても、本格的なYAの翻訳小説などもあり、読了するのにそれなりに時間がかかった。
先日のブログに書いたように、ここでは感想は書かないけれども、
「読了本はどんな恥ずかしい本でもここに載せる」というルールを決めたので、
とりあえずタイトルのみあげておく。

ビッグTと呼んでくれ

ビッグTと呼んでくれ

トモ、ぼくは元気です

トモ、ぼくは元気です

しらぎくさんのどんぐりパン

しらぎくさんのどんぐりパン


読書会はとても有意義だった。
わたしは初参加だったのだけれど、出席者は全員、なんらかの形で「仕事」として子どもの本に関わりをもつ、いわば「プロ集団」。
雰囲気はのんびりリラックスムードの中、議論の内容はとてもレベルが高く、ほお、なるほど、と思うことしきり。
難解な批評用語などとは無縁ながら、常に読者のすがたを思い描いて本を語ろうという基本的なスタンスがあるように思った。
次回、10月の会にも参加するつもり。また、課題図書3冊。がんばって読まねば。


さて、いつも楽しみに読んでいるブログのひとつに、紀伊國屋書店の「書評空間」がある。
昨日の昼休み、会社のパソコンで更新チェックをして、阿部公彦さんの「石原吉郎詩文集」の書評を読んだ。
読んですぐ、本屋に走ってその本を買ってこようかと思ったけれど、なんとなく家の本棚にあったような気がして思いとどまった。
(案の定、同居人が持っていた。「とても大切な本」のひとつだそうだ。)
阿部さんの書評はなんだか魔法のような力があって、書評を読んだらそのまま、本屋に直行せずにはいられないような気分になる。
これはおそらく意図的なのだろうけれど、とりあげている本の全体像をみせてくれるというよりは、
その中のごく一部、きらっと輝く部分に焦点をあてて、ちらっ、ちらっとその魅力を紹介し、
「まあ、以下同、だから、あとは自分で楽しんでね」みたいな感じで読者を少しだけ不安な状態にして、置き去りにするからだと思う。
今回の「石原吉郎詩文集」も、引用されている詩はどれもものすごく引き込まれる、いい詩ばかりで、解説も絶妙で、
でも、書評なんだから当然なんだけど、全部の詩の紹介はしてくれないし、説明もしてくれない。いじわるだ。


同居人にこのことを話したら、「あの書評はすごくいいよね」と言ったあとで、
でもぼくは、こっちの詩のほうがいいと思う、それからこんな詩もあるんだよ、というぐあいに、
次から次へと石原吉郎の詩の一節が口をついてでてきて、
うわあ、恐れ入りました。いよいよ、読まねば。


会社の宿題で(←こんなの、ふつうあるか?)、「国語科の定義」について200字程度にまとめてこい、とのおおせ。
石原吉郎の「詩の定義」をコピペして送ってしまおうか。