高山宏講演会

今日は、新宿・紀伊国屋ホールで開かれた高山宏さんの講演会へ。
「二時間で人文科学のエッセンスを伝える」という壮大な試み。
非常におもしろかった。
知的な探求というのは、大学や大学院、学会に属さなくても可能で、
要は個人が探求してみようという気になるかどうかということなんだな。
たとえば今日、高山さんが話題にした本の中から10冊を選んで、きちんと読み通したならば、
いまの自分にはまったく見えていない世界が見えてくるのは間違いない。
ああ、もっと本を読みたい、読まなくては、と思って帰ってきたわたしは、
完全に主催者の術中に落ちている、単純な人間だ、ということなのだ。


高山さんのデフォーの話があんまり面白かったので、
思わず「ロビンソン漂流記」を読み返してみようか、と。
かつて吉田健一訳の新潮文庫をぼろぼろになるまで繰り返し読んだ。

ロビンソン漂流記 (新潮文庫)

ロビンソン漂流記 (新潮文庫)

この本は一時期(小学校高学年〜中学生くらいだと思う)、わたしにとってはバイブルのような存在だった。
当然ながら、大学でかわされているような批評理論なんて、意識するはずもない。
少女のわたしが夢中になったのは、細部のリアル、だったような気がする。
挿絵も映画も見た記憶はないのに、わたしにはわたしの、ロビンソンの、フライデーのイメージがある。
島のようす、いかだのようす、島の動物たちのようす。
四半世紀を経て、もう一度この本を読み返したら、どんなイメージが浮かぶだろう。
せっかく新訳が出ているのだから、新訳で読もうか。
いや、いっそ思い切って、原書に挑戦するか(無理無理、と同居人に言われた……)。