菊地信義『みんなの生きるをデザインしよう』

わたしは早起きが苦手なのだけれど、なぜか今朝は4時に目が覚めた。
もったいないからもう少し寝ようと努力してみたけれども眠れず、
そのまま起きて台所を片付けたり、お弁当の準備をしたり。
それでもまだ時間があるので、昨日、アマゾンから届いたこの本をぱらぱら読み始める。

みんなの「生きる」をデザインしよう

みんなの「生きる」をデザインしよう

一気に読了。


NHKの「課外授業 ようこそ先輩」をもとにした本を、菊地さんが出すらしい、という話は、
知人から聞いて知っていた。
菊地さんには興味があるけれど、「ようこそ先輩」かあ、きょういく、かあ、と思い、
ちょっと敬遠していた。
それが先日、朝日新聞重松清さんの書評が出て、むむっ、と思った。
どうも、いわゆる「きょういくてき」な本とは違うようだ。


これは、圧巻だった。
「有名人の特別授業でしょ、そりゃ盛り上がって当然だよ」という声は、当然ながらあるだろう。
教育実習にしても、他校の花形教師を迎えた研究授業にしても、
子どもたちにとっては「特別感」があるから、それはいつもより前向きに取り組む。
そんな「特別授業」より、ごく普通の教員が、毎日地道に子どもたちと向き合っていくことのほうが、
はるかに価値がある――基本的には、わたしはそう考えている。
でも、この本を読むことは、いわゆる「授業のドキュメント」を読むこと以上の体験を、
わたしにもたらしてくれた。


谷川俊太郎の「生きる」に表紙をつける、という授業。
子どもたちは初日、「生きる」の詩句をもとに、そこに出てくるイメージをそのまま絵にして、第一作を完成させる。
ここまでのやりとりだって、十分にすごいのだけれども、
装丁家菊地信義の真骨頂は、実はこの先だった。
いったん完成させた第一作をボツにして、宿題を出す。
「もう一度詩を読み直し、自分自身の「生きる」の一行を見つけてくること」
そして、それでもう一度、表紙をつくる、というのだ。


このあとの菊地さんと子どもたちの会話は、とにかく宝の山。
菊地さん自身の感動や興奮も、びんびん伝わってくる。
とりわけ最後までアイディアが出なかった男の子と菊地さんとの涙ながらのやりとりは、
読んでいるわたしまで泣けてきた。
菊地さんはこの男の子に、「だれもが生きるって読めないような、ありえない字を考えよう」と提案する。


  ……表紙にはタイトルといった固定観念がある。そこに文字がないんだからびっくりする。
  アイデアが出なったっていうこともあるけど、アイデアがないのもひとつの答えなのだ。
  「わからない」というのは問いへの立派な答えのひとつなんだ。
  問いそのものを疑うことを求めている。晃くんに教えてもらったのだ。
  課外授業だからいい、といったことではない。「教える」ということを考える根っこの問題だ。
  答えがない、わからないと心底思うとき、人はそれでも生きていくにはどうしたらいいか考える。
  それがこういう表現を実現する。生を実現すると言ってもいい。
  (233ページ)