荒川洋治講演会

荒川洋治さんの小林秀雄賞受賞記念講演会に行ってきた。
100席程度の会場は満席。
各席にあらかじめ、荒川さんにとっての明治〜昭和の作品ベストリストのようなものが配られており、
どんなお話が飛び出すのかとドキドキとスタートを待つ。
登壇した荒川さんはちょっと厳しい表情をしていて、気難しい方なのかしらと思ったが、
お話を始めたらびっくりするほどエネルギッシュで、ユーモラスで、
めちゃくちゃ話がうまいのだった。
(あとで同居人から、ラジオのパーソナリティなどもやっているのだと聞いた。納得)


配られたベストリストを眺めながら、
それぞれの作品の紹介をしていくのだけれど、
まさに書評家とはかくあるべしという感じで、
話をきいているだけで、今すぐにでもその本を入手して読みたくなる。
講演会などで、講演者が面白いことを言ったときに、
会場全体が笑いにつつまれる、というのはよくあることだけれど、
この講演会では、時折、会場全体が、
「うーん」というような、「ふーん」というような、
感嘆とも共感ともつかぬような、不思議な鼻息(!?)につつまれることがあって、
なんともいえぬ心地よい、スリリングな時間だった。


リストの中身をここで紹介してしまうのはルール違反のような気がするので控えるけれども、
選んでいる作品の多くは、「普通の人」「凡人」の人生を描いているもので、
そうした作品を、時には郵便番号に注目し、時には登場人物の行動半径に注目するという具合に、
細部にこだわって読んでいくのだというお話をしていた。
(この「注目する」とか「こだわって」というのは、もちろん、
研究者的な視点ではなく、一読者として作品を熱心に読んでいると、
そういった点が気になってくる、という意味である。)


「文学は実学である」というご持論を、この日も熱っぽく語っていらした。
講演の最後のほうで、巷で話題になっている教育問題にも触れて、
「文学は、人間とは何か、人生は何たるかを教えてくれる」というような、
ちょっと気恥ずかしくなるようなストレートなことばも吐いていらした。
知的でユーモラスなお話をきいたあとの、
荒川洋治さんほどの厚みがあって、心から文学を愛している人の言葉だから、
このようなストレートな言葉もまっすぐに届いた。


小説だけでなく、詩や短歌・俳句もぜひ読んでみてほしい、ということも、
実に熱っぽく語っていらした。
詩は個人のものである、というお話の中で、
無名の兵隊さんの詩をあげ、
「皆さんがこの詩に撃たれるかどうかはわからない。
でも、ぼくは撃たれた。
明日死ぬかもしれない自分を外から眺めて、
この人は自分自身のために、この詩を書いたにちがいない。
自分という個人のために書いたこの詩が、
時空をこえてぼくという個人を撃ったのだ」
というようなことを話され、
その迫力に圧倒された。
そういえば最近、あまり詩を読んでいないなあと思った。


でもこのご講演の中で、荒川さんはちょっとだけ間違ったことを言っていて、
「最近の教科書には田村隆一なんて載っていない」と言っていたけれど、
いま発行されている高校の現代文の教科書の中には、
田村隆一の詩もちゃんと載っているものもある!
(授業できちんと扱われているかどうかは、??だけれども……)


会場にはもちろん、いわゆる「関係者」もいたのだろうけれど、
大部分はごくふつうの文学愛好者や荒川洋治ファンだったにちがいなく、
「一人暮らしだけれど、本があるおかげで、毎日退屈しないで暮らしています」
と語っていた(ごめんなさい、立ち聞きです)上品なおばあさんの姿が印象に残った。


さて、この小林秀雄賞受賞作、昨日会場で購入し、サインまでもらったのだが、
いつ読もうかな。
「古典新訳文庫」の順番はつまってるし、村上春樹訳のギャツビーも出たらしいし、
読書会の課題のカルヴィーノも未読だし……。
うーん、でもやっぱり講演会の興奮冷めやらぬ今、読むことにしよう!

文芸時評という感想

文芸時評という感想