古典と教養のル・ルネサンス

東京外国語大学オープンアカデミー開講記念イベントに行ってきた。
安西徹雄さんの講演、チェロ演奏、沼野充義さん司会のシンポジウム
(パネリストは荒このみさん、亀山郁夫さん、野崎歓さん、村尾誠一さん)
という豪華メンバー、しかも無料!というのにひかれ、文京シビックホールへ。


結論! たいへんよいイベントでした。
はじめに安西さんが、シェイクスピアの評価をめぐる話をとおして
「古典は読者との対話をとおして古典となる」「文化は国境を越えてゆく」
という内容の基調講演をし、それをうけるような形でパネリストたちがそれぞれ、
結構長い時間話した。


荒さんは自身の留学体験からはじめて、
ご自身の転機となった、プエブロ・インディアンの作家シルコウとの出会いのお話を。
最後に現代アメリカの偉大な作家としてトニ・モリスンをあげ、
モリスンの最近の仕事として、童話絵本の話をしたのが印象に残った。
モリスン版イソップ物語では、音楽ばかり奏でていたキリギリスが、
冬に食べ物がなくて困ったとき、"Art is WORK!"(音楽だって、労働だ!)
と言う、という話がおもしろく、この童話絵本、ぜひ入手してみたいと思った。


亀山さんはドストエフスキー作品と、日本の少女殺害犯の話や死刑制度の話をからめた、
かなり重いお話。あとの野崎さんもドストエフスキーの話を結構したので、
とにかくドストエフスキーを(少なくとも「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」くらいは)
読まずに、文学は語れない、と痛感。
(じつは恥ずかしいことに、私はまだ、ドストエフスキーを1冊も読んでいない。
以前に「悪霊」で挫折した経験あり。)


そういえば野崎さんはお話の中で、
古典というのは「(恥ずかしながら実は)まだ読んでいない本」であり、
「いつでも待ってくれている本」というお話をした。
野崎さんはとても素敵な方で、ひとめみてファンになってしまったのだが、
その野崎さんが、「ぼくは実はフランス文学者のくせに、びっくりするほど古典を読んでいなくて、
だから毎年夏になると、こっそりと古典を読むことにしているんです。
たとえば今年の夏は、『戦争と平和』を読みました」と正直におっしゃっていたので、
私も正直に告白した次第。


日本文学者の村尾さんは、百人一首を例にとって、古典研究のたのしさや意義について話した。
実はこの人だけ知らない人だったので、どうかなあと思っていたのだけれど、
話がきわめて具体的でとてもおもしろかった。
ほかのパネリストの方たちもそうなのだけれど、
お話をしながら古典を研究することがたのしくてたまらない様子が、ひしひしと伝わってきた。


野崎さんが「翻訳文学を応援してください」というようなことをおっしゃって、
司会の沼野さんが、「みなさん家に帰って本を読みたくなるような気持ちになったのでは」
とおっしゃって、ほんとうにそのとおりだと思った。


講演とシンポジウムの間のチェロの演奏がこれまた絶妙で、
私は音楽のことはよくわからないのだけれど、
この演奏を含めて約3時間、まったく飽きることなく、心地よくすごすことができた。
会場の外で、古典新訳文庫の今月刊行の4冊をまとめ買い。
あれもこれも読みたくて困るけれど、
迷わないためにも、最初に決めた「順番に全部読む」の原則を律儀に守ろうと思う。