10ヶ月ぶりの投稿

11月は誕生月ということもあり、自分の越し方行く末について思いを巡らすことが多い。先週はフリーランス仲間の女性と、高校時代からの親友、二人の同世代女性と会食の機会があったせいか(そして二人がそれぞれに自分の人生を切り開こうとしているということもあり)、今日はバースデー割引で入った都内の温浴施設でまったりしながら、これからのことをああでもないこうでもないと、ひとり考えていた。

 

設立した会社はいわゆる「ひとり出版社」ではない。「ふたり編集プロダクション」、つまり、出版社からの依頼で編集作業全般を請け負うフリーランス編集者がふたり所属している株式会社だ。だから基本的には、共同経営者の同居人は同居人で、私は私で、それぞれの前職での経験や人とのつながりをいかして、それぞれで仕事をしている。会社のツイッターアカウントは彼がたくさん投稿をしてくれて、おかげでフォロワー数もだいぶ増えている。だからといってそこから仕事が入ってくるなんてことは、まあ、ほとんどない。

 

だから仕事の内容は、実は在職時とあまり変わらない。ただ、気が進まない仕事は受けないので、どの仕事もそれなりに楽しさを見出すことができるし、前職の会社では手がけることが難しい(または難しくなってしまった)ジャンルの本の編集にかかわることができることもあってそれはなかなか魅力的。時間・コストの管理や人間関係のストレスはないし、そういう意味では最高の職業生活で、自分にはこのスタイルが向いているような気はしている。

 

ただ、このままでいいのか、というと、どうなのかなーとも思う。ありがたいことに来年もいくつか、編集のお仕事をいただいていて、多くが企画段階からかかわっているので、今後の展開が楽しみではある。でも、いずれも前職のつながりをいかした著者の本なので、来年はあっても、再来年はあるかな、3年後まで続けられるかな、と思うと、どうかな、と思ったりもするのだ。

 

こんなふうに思うのは、目の前で同居人が、仕事につながるかどうかとか関係なく、どんどん新しい著者の本を読み、映画をみたり、ツイッターで追いかけたりしている姿を見ているから。彼は定年退職なので、3年後、5年後に仕事がなくなったらどうしよう、とかはあまり考えていなくて、なくなったら仕事場たためばいいよね、くらいにしか思っていないっぽい。だけど、別に「著者の開拓」とかじゃなく、この本おもしろいよ、と今自分が読書中の本の内容を嬉しそうに話して聞かせてくれる(時々うるさいと思うくらいに)。

 

今日読み終わった本、日暮雅通シャーロック・ホームズ・バイブル』は、これと同じ思想というか、スタイルで書かれている、と思った。この本はもちろん商業出版として世に出ているわけだけど、日暮さんはきっぱりと、「シャーロッキアンに野心や功名心は無縁だ」と書いている。たしかに、それで利益を得ようとか、儲けようとか、何か実利的な目的を持ち込んでしまったら、もうその活動そのものを楽しめなくなるような気がする。

 

 

同居人と私とでは、編集の仕事のキャリアも、仕事の仕方も全然違っている。そもそも30年以上前にアルバイトで入った会社で同居人の仕事ぶりや読書量を見て、私は編集者になる夢をあきらめたくらいだから、スタートからして全然違うのだ。その後も私はあらゆる面でぐちゃぐちゃの人生を歩んできたけれど、彼はまっすぐにひとつの会社で専門知識を積み上げ、その傍ら淡々と好きな本を読み、感想を書く、という生活を続けてきた。それはもう、違っていて当然だし、いまさら真似をしようとか、追いつこうとか考えているわけではない。ただ、こういうすごい編集者を共同経営者として会社をたちあげてしまった場合、自分はどんなふうに仕事をしていけばいいのか、自分には何ができるのか、青臭いと言われるかもしれないけれども、考えなくちゃいけないなあと思っている。

 

そんな中で、ちょっとだけヒントのように思ったのは、先述のフリーランス仲間から「ブログをはじめた」という話を聞き、高校時代の親友から「北烏山だより、やめちゃったの? 面白かったのに」と言われたこと。そうだなあ、たしかにこのブログは、別に仕事につなげようとか「発信の場」とか考えず、自分が読んだ本の感想とか、講演会の内容とか、だらだら書き綴っていただけだけど、ずいぶん経ってから読み返すと、結構面白かったりする。お、我ながらよくかけてるじゃん、みたいな。というわけで、ちょっと初心?にかえって、会社の仕事とは関係なく、「野心や功名心とは無縁」なブログを、もう少し書いてみようかな。(しかしここ数年、何度もこの決意をして、そのたびに挫折しているのだけれども)