二冊読了

圧倒的な迫力のある本を二冊読了した。安易に「面白かった!」などという感想は書けない、魂の叫びのような著作。共通するのは「できごとや思いを文章にする」ことに対する、著者の不器用なまでのひたむきさ、誠実さだ。

 

わたしが自分の好みで本を選ぶ場合、そのほとんどがフィクション、小説だ。海外のものも国内のものも、文学もミステリなどのジャンル・フィクションも、わりと手当たり次第、おもしろそうだと思ったものをどんどん読む。あれ、はずれた、と思うこともないわけではないけれど、たいていはのめりこんで一気に読める。

 

一方、ノンフィクションに対してはやや保守的。自分で選ぶというよりは、信頼している人が面白いと言ったとか、書評を読んで興味を持ったとか、何かのきっかけで手にとることが多い。『私の脳で起こったこと』は、最近会員になったALL REVIEWSのメルマガで紹介されていたのを読んで買って、一日で一気に読んだ。『当事者は嘘をつく』は、先ほど読み終わった。この本との出会いは、少し複雑だ。

 

『当事者は嘘をつく』の著者の書いていたブログを、熱心に読んでいた時期がある。同居人も読んでいて、著者のことを我が家では「きりんさん」と勝手に呼んでいた。文面から察するにまだ20代なのに、おそろしく思索が深く、文章がうまい。それにくらべて、自分が垂れ流している身辺雑記はなんでこんなにくだらないんだ、というような気持ちになったのと、あまりに繊細すぎる文章と、次第に学問的になっていく内容についていけなくなったということで、あまり読まなくなってしまった。自分自身がブログをほとんど書かなくなってしまったということも大きい。

 

それがつい先日、ツイッターでこの本についての書き込みを見かけて、「あれっ」と思った。同居人に、「これ、きりんさんじゃない?」と言ったら、同居人はどれどれ、と言って検索し、まえがきの抜粋を読んで、さかんに感心していた。で、気づいたら翌日には、我が家のリビングのテーブルにこの本が置いてあった、というわけだ。

 

二冊とも、すごい本だった。と同時に、最初に書いたように、安易な感想を拒絶するテーマであり、内容なので、内容についての感想めいたことはわたしにはうまく書けない。ひとつだけ言いたいのは、「どちらも、ぜひ、最後まで読んでほしい」ということだ。前述のように、わたしや同居人だって、書評や宣伝の一部抜粋がきっかけでこの本を手にしたのだから、もちろんある程度の魅力は一部だけ読んでも伝わるにちがいない。でもこの本は、たとえばせっかく手にしたのに、まえがきだけとか、一章だけ読んで、(私が小説で時々やるみたいに)合わないな、とか、つまらない、とかで、途中でやめてしまってはいけない種類の本なのだと思う。時折つらくなって読めなくなったり、立ち上がって紅茶を入れて気合を入れ直したりしながら、最後まで読んで本を閉じたときの感動というか、うーん、「感動」ってなんか安っぽいよなあ、「読みました!」というか、「受け取りました!」という感覚は、なにものにもかえがたい体験だった。

 

昨日の夜は同居人と二人で、歌人の上坂あゆ美さんの歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』の刊行記念オンラインイベントを視聴。これもとてもいいイベントだった。聞き手の若い書評家さんもとてもよくて、同居人と二人で、自分の年齢の半分くらいの人たちの話に聴き入り、いいイベントだったね、と言い合い、少しだけ、自分たちはだいぶ年をとってしまったね、と寂しいような気持ちになったのだった。

 

 

でもね、本を読む習慣があるということは、ほんとうに幸せなことだよ。わずか数千円で、上記三冊に描かれた世界を体験できるのだから。(図書館を使えば無料で!)この間、ほかにも何冊か、フィクションを読んだのだけれど、その感想は、また後日。(そういえば、今気づいたのだけれど、上記の二冊はどちらも筑摩書房なんだね。さすがだ。)

 

レーニングはここ3日ほど、サボってしまった。明日は何がなんでもジムに行かないと、またいつものずるずる行かないパターンに陥ってしまう。。。