『狂うひと』と『S先生のこと』

金曜日の会議は、若い優れた外国文学者が集まり、充実したスリリングな議論になった。会議のための準備はかなり負担がかかるもので、現段階では無報酬。にもかかわらず、全員がきっちりと準備をしてきたうえで、率直な意見交換がなされる。研究者としての自身のフィールドと、今回の企画とのあいだのバランスをはかり、商業出版として成立させることの困難も理解して、知恵をしぼっている。この企画は地味だけどなんとしても成功させたい。何が「成功」かと考えると難しいけど。


でも、会議後の懇親会で、お雑煮の話や嫁姑問題、保育所さがしの話などしていると、ごく普通の年下の社会人だ。とくに、わたしより一回り年下の大学の先生が、お正月はずっと「嫁」として台所でに立ちっぱなしだった、なんて話を聞いて、かなりびっくりした。大学のポストを得るまでは、中華料理店でアルバイトをしていた、なんていう話も聞いた。それでも文学研究を続けようと思ったのはなぜですか、とつまらない質問をしたら、「やっぱり文学研究が楽しかったからかな」という、ありきたりの返事が返ってきた。それから、「先生や研究仲間がいて、このひとたちとずっと一緒にいたいと思った」と言った人もいた。なんとセンチメンタルな、社会をなめてる、と思うひともいるかもしれないけど、わたしはちょっと感動した。思えば会社員生活も長くなり、自分を「労働者」と考えることも多くなったけど、もともと自分は給料をもらうために働いてる、という意識が希薄で、自分がおもしろいと思えることを、一緒にいて楽しいひとたちとやってる、だから多少のつらいこともがんばれる、みたいなところがある。そういう考え方はいまは流行らないというのはわかっているし、他人にその考えを押し付けるつもりはない。でも、自分より一回り以上年下の、あきらかにキレッキレの学者さんが、同じような価値観で働いている、文学研究に取り組んでいる、ということがなんか嬉しかったのだ。


嬉しいついでに帰路の電車の中で、島尾敏雄が好きだという日本文学の研究者に、『狂うひと』を激賞してしまった。その先生はわたしの要領の得ない説明と、例によって自分の体験にひきつけて読む没入型の読書体験を馬鹿にすることなく耳を傾けてくれた。そして、自分が昨年読んでとても感動した本として、なんと『S先生のこと』を挙げて推薦してくれたのだ。もう、猛烈に嬉しくなって、『S先生のこと』の元になったブログを初めて読んだときのこと、同居人と「これを本にしたいね」と話していたこと、立派な本になって読み返してまた感動を新たにしたこと、歴史のある文学賞を受賞したこと、などを夢中になって話した。


気づいたらあっという間に降車駅に着いていて、もっと本の話をしたいと後ろ髪をひかれながら電車を降りた。仕事とは何の関係もないけれど、具体的に何の役に立つこともないけれど、文学や本の話をできる人といっしょにいるということはほんとうに幸せなこと。3連休が終わり、いよいよお正月気分も今夜まで、ということで、少しだけ気持ちがどんよりするけど、明日は新企画の相談でエージェントに行くのだし、何より、夜はカフカをめぐるトークイベントがあるのだ! これを楽しみに、明日いちにちを乗りきるぞー!