本の話でもりあがる

1日に十数人、ときには二十人を超える本の好きな人々と言葉をかわす毎日。
先日書いたように、無味乾燥な営業トークになってしまうこともあるが、
時には仕事であることを忘れ、本の話でもりあがってしまうこともある。


今日は珍しく、外国文学好きの国語の先生に出会った。
最初は普通に古文の底本がどうの、漢詩の配列がどうの、という話をしていた。
こんな評論があるといいね、とか、こんな書き手がほしいとか、
話しているうちにどんどん固有名詞がでてきて、話がディープになっていって、
村上春樹はこれがいいとか、最近の短編ではこれがおもしろいとか、
だんだん話が本来の目的がそれはじめ、話題は翻訳小説へ。


そういえば昨日も、村上春樹柴田元幸の翻訳の話で盛り上がった。
「翻訳小説は下手な現代小説より文章がうまいから」と先生が言ったので、
うれしくなって、そおなんですよ、この柴田さんという人はですね……と、
はりきって多弁になってしまった。


今日出会った先生は、ガルシア・マルケスカルヴィーノも好きだという。
カルヴィーノの「文学講義」への熱い思いを語り、「読めもしないのに現地で原書買っちゃったりして」という。
さらに、「こんなものをつくってるんですよ」といって見せてくださった私家版の短編アンソロジープリントには、
わたしの知らない外国文学者の名前も入っていて、
先生はそのうちの一篇を指さして、
「これは、最近読んだ短編の中でも最高にいいんです。国書刊行会って出版社から出てるんですけど、ぼくはここの本が好きで……」
と、少年のように語りだした。
その作品は、山尾悠子『歪み真珠』。
わたしは未読だけれど、わたしの愛読している読書家ブロガーのあいだで、さかんに話題になっている本だ。


できることならずうっとその先生とお話をしたかったけれど、
一緒に仕事をしている営業の女性が待ちくたびれた様子だったので、
後ろ髪をひかれつつ退出。
「先生、もっとお話ししたいです……」などと口走ってしまったら、
先生は気の毒に思ったのか、どこからか名刺(○○部顧問、という肩書の名刺だった)を探し出して渡してくれた。
あとで営業の女性に、二人の会話を途中までメモなどとりながら聞いていたけれど、
途中からわけのわからない話になって、でもあんまり二人が楽しそうだから、放っておいた、と言われた。
思っていた以上に長い時間、話しこんでしまったらしい。


こんなふうに話し込むことは珍しいけれど、
普通に営業活動をしていても、おっ、とか思うことは結構ある。
そういえば前回の九州出張中、ある年配の先生のところへ営業に行ったとき、
その先生は興味なさそうに、つまらなそうに、わたしの話を聞いていた。
なのでわたしもあまり気合いが入らず、通り一ぺんの説明をしてひきあげた。
その帰り際、出入りの書店さんがその先生に、
「先生、お待ちかねの本、お持ちしました」と声をかけたのが聞こえた。
で、なにげなくそちらのほうを見たら、
その先生はさっきまでは全然違う表情で、緑と白の上品な装丁の単行本を受け取っていた。
むむ、あの装丁は間違いなく、みすずの「大人の本棚」だ。
ちょっと距離があったので表紙の文字は読みとれなかったのだけれど、
おそらく野呂邦暢『夕暮の緑の光』と思われた。
その先生の元に戻って、仕事とは関係のないおしゃべりをしたいという衝動にかられたけれど、
このときもまた、一緒にまわっている営業の女性に申し訳ないのでこらえた。


そんなこんなで、営業活動はあまり得意ではないけれど、
それなりに結構楽しみながら、なんとか二巡目も残すところあと1日となった。
営業期間中は毎日12時前に就寝し、7時前に起きるという、規則正しい生活を送っている。
そろそろ眠くなってきた。明日もいちにち、がんばるぞ!