30パーセント仕事がらみ

ここで時々書いているように、最近会社の残業・休暇の制度が変わり、
休日に編集会議等で働いてしまったら、ものすごい勢いで代休を取得しなくてはいけなくなった。
うっかり代休をとりそこねたりすると、上司からチェックが入る。
最初は軽いジャブ、だんだんしつこくなるようだが、わたしは今のところ軽いジャブですんでいる。
もちろん、上司も好き好んでこんなことをしているわけではないのだろう。
なんとか超過勤務・過密労働を減らそうという努力の一環なのはよくわかるので、
言われるがままにせっせと代休をとっている。


というわけで、今日も1日、代休。
昨日、某私立高校の先生にお会いし、国語の教科書や授業について雑談した。
正直言って予想外に楽しかった。へえ、という感じでちょっと驚いている。
営業で学校まわりをするときと違って、何かを売り込まなくちゃいけないわけじゃないので、
気軽に話ができる。教科書や授業のことを核にしながらも、小説や評論の固有名詞もとびかいはじめ、
先生のホンネというか、「教師」という顔で話していることとは別種の、「本好き」の人の顔がのぞく。
おお、今の仕事は、自分自身がうまく立ち回れば、かなり楽しくこなすことができるんじゃないの〜?と、
明るい気持ちになって、初めての町の商店街を歩いたのだった。


そんな気分をひきずって、代休取得しているものだから、
自宅にいても30パーセントぐらいは仕事モードで、ネットで調べものをしたり、仕事に役立ちそうな本を漁ったりしていた。
午後、買い物に出かけ、喫茶店で小谷野先生の『文学研究という不幸』を読了。

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

これなどはまさに仕事度30パーセントで、大学の文学部や人文学研究がどうであろうと、一見、いまのわたしには関係がなさそうなのだが、
教科書という、高校生に「強制的に」文学作品を読ませようとしている媒体の編集者にとって、
「文学研究」が世の中からどんなふうに見られてきたのか、そして今、どんな状態になって(しまって)いるのか、を、
具体的に詳細に述べてある本書は、30パーセントぐらいは仕事の役に立つ「実用書」なのである。
……そうはいっても、残り70パーセントは個人的な興味。
次々に繰り出される大学人たちの固有名詞に、眉をひそめたり、ふふっと笑ったりしながら、
茶店→バスの中→自宅、の約3時間ほどで一気読み。(ああ、鞄の中のキンドルは……!)


上記の本を読了した勢いで、「日本近代文学研究者」と肩書きのついた小森陽一『大人のための国語教科書』を再び手にとる。
1972年生まれの若く志の高い高校教師と小森陽一が、真剣に語らっている姿が目に浮かぶ。
この本の中身をちゃんと読めば、帯の文句「教師用指導書の嘘を暴く」「国語の授業はなぜ眠かったのか? 教師用指導書が間違っているからだ!」は、
著者が伝えようとしたこととは、ちょっと距離があるということがわかる。
安易な「指導書批判」の書ではない。小森センセイも前田センセイも、学校教育の枠の中でできることできないことを十分にわかったうえで、
なんとかしよう、と真摯に取り組んで、この本を書いたにちがいない。
……それでも。
なんとなく、けっ、と思ってしまうのは、なぜなんだろう。
たぶん、ここで「結論」めいて書かれていることが、あまりに自明のことだからだ。


   ここで問い直してみなければならないのは、「単一の主題(意味)を小説から取り出す能力を身につけさせること」が「国語教育」なのか、ということです。
   多層的で複数の意味を言葉に担わせようとしている小説というジャンルの言葉から、「単一の主題(意味)」を取り出そうとすることは間違いだと思います。
   とりわけ作中人物の心理や感情については、なおのことだと思います。
   むしろ、一つの表現からどれだけ多様で複数の意味を引き出すことができるのか。
   しかも教室にいる仲間を説得できるように、自分の解釈の妥当性をその文学テクストの全体構造とのかかわりで論証できるかどうかこそ、
   文学テクストの読解力だと思います。(250ページ)


これを自明のことだと思わない国語教師のほうが、少ないんじゃないかと思う。
「本書で分析したような教師用指導書の方向づけに縛られることなく、生徒たちとの本気の対話を通じて授業実践を行っている多くの「国語」教師が
 全国にいることもわかっていただきたいと思います。」(15ページ)とあるけれど、
そういう「国語」教師たちは、「生徒たちのとの本気の対話」なんていうことばに頬を赤らめながら、
今日も生徒と向き合っているんじゃないのかなー。


小谷野先生の先ほどの本にも名前が登場する東京大学阿部公彦先生が、今月、紀伊國屋の「書評空間」でとりあげているのは、
橋本治小林秀雄の恵み』。小林秀雄も、高校国語教科書の常連さんなので、この本は仕事度30パーセントくらいか。
いつものことながら阿部先生の引用はみごとで、「ほお、んじゃ、読んでみるか」という気にさせられる。
本を買ってもらいたい書店のウェブ書評ということを考えると、なかなかの商売上手ってことだ。
(もっとも、紀伊國屋書店の会員になっていないので、結局、ほかの書店で買っちゃうんだけど……)


……という具合に、どんどん読みたい本、読まなくちゃいけない本が出てくると、「キンドル」がますます重くなってくる。
先日、翻訳学校の校長先生に久しぶりに会いに行って、いまは編集の仕事が楽しい、という話をしたら、
「会社辞めたくなったら、また翻訳をやればいい」と言ってくれた。
「いや、もう、英語力が地に落ちてます……」と言ったら、「その分、日本語力を磨いているんだから」というやさしいおコトバ。
自分で翻訳をするのはもう無理かもしれないけれど、やさしい小説を英語で読むくらいの英語力はキープしたい。
そのためには「キンドル読書」、あきらめたくないんだけどなあ。