忙しいと言いながら

今週は木金土と仕事とは関係のないイベントに参加。
木曜日はポプラ社の『百年小説』刊行記念トークショー
金曜日は早稲田の翻訳関連シンポジウム。
土曜日は国立劇場文楽公演。
その分、日曜日に休日出勤して、たまった仕事を片付けた。
(予定されていたクミアイ活動が延期になったので助かった……)


ポプラ社は世界文学を集めた『諸国物語』が3万部売れたそうで、
その続刊として、日本文学版の『百年小説』を出したとのこと。
目次を見ると、森鴎外「杯」から太宰治富嶽百景」まで51編が並んでいる。
こういうリストを見ればだれだって、イベントの話題の中心は、
「なぜ、この作家のこの作品を選んだか」にならざるを得ない、と思うのだけれど……。


残念ながらその話題はほとんど出なかった。
イベントでの話しぶりを総合すると、どうやら、編集長の一存というか、好みで、
かなりの部分が決められているように思う。
こういうアンソロジーのようなものを読んでみようかと思うとき、
だれが、どういう基準で作品を選んでいるかというのは、ものすごく重要な情報で、
だからこそ、河出の世界文学全集だって、「池澤夏樹個人編集」をうたうのだろうし、
池澤さんは、「なぜこの作品を選んだか」「なぜこの作品を選ばなかったか」という、最終的には答えのないような問いに対して、
自分なりの答えのようなものを用意しているに違いない。
うーん、この編集長さんが、編集部のみんなと話し合いながら、あれにしようか、これにしようか、って悩みながら決めたんだあ、と想像すると、
それはそれで、ひとつの本作りの形なのだろうなとは思いつつ、
ちょっと残念な感じがしてしまったわたしは、やっぱり古いのだろうか。


このトークイベントでは、新井敏記さんという人をはじめて見た。
最初、ちょっとこわそうな人だな、と思ったけれど、
会が進行するにつれ、編集者らしいバランス感覚のある、素敵な人だとわかった。
彼が話を「文学」のほうにもっていってくれたおかげで、多少なりとも文学らしい話が聞けたように思う。
せっかく出席している秋山先生はほとんど話をしなかったし、
装丁家の緒方さんや画家の安井さんも、あまりつっこんだ話というか、ほーっというような話はなくて、
作家の石田千さんが、「今の世の中で『知らない作家の小説を読む』ということは、もしかしたらいちばん『いらない』ことなのかもしれない」
と言っていたのが印象に残った。


と、イベントについてはちょっと文句を書いてしまったけれど、
この本はとりあえず買おうと思う。7000円もするけど。
『諸国物語』と並べて、書棚に飾っておこう。
「家具」になり果てそうな気もするけど、
こういう企画をやってみようと思い、実行した、というのはやっぱりすごいと思うし、
応援したいと思うから。


さて、一方の早稲田のイベント。
もちろんお目当てはわが王子さま、野崎歓さん。
野崎さんの姿を一目見んがために、会社を半休をとって早退し、大雨の中かけつけた。(かなり誇張してます。)
フランス文学の野崎さんのほか、アメリカ文学青山南さん、ドイツ文学の松永美穂さんの3人が講師で、
「翻訳の秘密」について語りあう、という趣向。
早稲田の構内で迷って30分近く遅れてしまったのだけれど、最後まで飽きさせず、面白かった。
聴衆のほとんどが大学生で、講師は3人とも大学の先生ということもあり、
話はとても平易で親切で、「翻訳論」の初歩の初歩、という感じだったけれど、
そんなにやさしい話をしている中でも3人の個性はちらっ、ちらっと見えて、
野崎さんはもとより、青山さん、松永さんも、このイベントでかなり好きになった。
とくに青山南さんは、翻訳との出会いの話から、大学の授業で春樹訳ギャツビー批判をした話まで、
どれもとても面白かった。(最初の30分に、水村美苗の『日本語が亡びるとき』について話したらしいのだが、
わたしは遅刻したために聞き逃してしまった。残念。)
グレート・ギャツビー」に頻出する"Old Sport"をどう訳すか、という話がこのイベントの白眉だと思うのだが、
青山さんと名訳を思いついた学生さんに敬意を表してここには書かない。
いやあ、すごい、と思った。
その学生さんの翻訳センスはかなりのものだ。
(長編を1冊訳せるだけの翻訳体力があるかどうか、というのは、また別の話だろうけれど。)


土曜日は文楽鑑賞。着物で行くつもりだったんだけど、
今週、コートを取りに行けなかったのと、昼間、同居人が高井戸のお風呂に行きたい、と騒いだため、断念。
お正月はなんとしても「着物でおでかけ」を実現しなければ。
で、文楽。演目は「源平布引滝」。
途中、お人形の首がぽーんと飛んだりして、かなり派手な舞台だった。
文楽の不思議なところは、最初の10分くらいはなんとなく「つくりもの」の世界に入り込めなくてしらけているんだけれど、
いつも必ず、気がつくとお人形に感情移入していて、喜んだり腹をたてたり切なくなったりする、ということ。
今回で3回目の文楽鑑賞だけれど、1回目より2回目、2回目より今回のほうが、より文楽が好きになっているような気がする。
先日見に行った狂言も面白かったし、
やっぱり伝統芸能ってのは、だてに「伝統」を誇ってるわけじゃないのね、なんて浅はかな感想をもったりして。


ここのところ毎年、年末の忘年会シーズンになると、はたと考える。
仕事もとても忙しいこの時期、仕事と関係のない忘年会に、どれくらい出席したものか。
でも今年は、わりあい早く方針が決まった。
「出られるかぎり、ぜんぶ出る!」
その姿勢は、今週のこのイベント続きにもあらわれているのだけれど、
翻訳とか、文学とか、伝統文化とか、自分がもともと興味を持っているものは、
仕事と関係なくても大切にしよう、と思ったのだ。
そうでもしないと、会社での閉塞状態から抜け出せず、
イライラがたまって、ばあーん!!となりそうな予感がある。
何よりもよくないのは、だめだ、だめだ、といわれ続けることで、自信をどんどんなくしていること。
なるべく外へ外へと目を向けることで、
編集者として自分にもできることがあるんじゃないか、
いいところがあるんじゃないか、という気持ちを取り戻せるように思う。


『アーサー・ウェイリー』読書中。
これは、ほんとうにすごい本。ほお、と思うたびにページの隅を折っていると、
ほとんど全ページ、折り目だらけになってしまう。
今年中に『アーサー・ウェイリー』を読み終えて、
カーレド・ホッセイニ『千の輝く太陽』(土屋政雄訳)に進みたい。
そういえば、先日、荒川洋治の『読むので思う』を立ち読みしていたら、
北村太郎『光が射してくる』を紹介していて、北村が書いた、児童書や子どもの本の書評・解説が収録されていることを知り、
アマゾンで購入。

光が射してくる 未刊行詩とエッセイ1946-1992

光が射してくる 未刊行詩とエッセイ1946-1992

ぱらぱら眺めているだけでも、わたしが生まれる前に書かれた文章のあちこちに、
共感できる箇所多数。
「よく知っている言葉を使いなさい」「本を系統的に読むのは邪道です」等々。
一方で、およそ詩人の文章とは思えないほど散文的なエッセイ「会社づとめ」では、
50歳で会社をやめた友人たちを羨み、
「できればわたくしも会社をやめたい。しかし、できない。」(123ページ)
などと、情けなく書き連ねていて笑える。
なるほど、その延長上に、「荒地の恋」があるということか。