3000人の珠玉の読者

考える人 2008年 05月号 [雑誌]

考える人 2008年 05月号 [雑誌]

やはりなんといってもおもしろかったのは、
大アンケート 私の「海外の長編小説ベスト10」だ。
この手のアンケート企画というのは、まあ、わりとよくあるものだと思うが、
この充実度はすごい。
頼んでいる129人の顔ぶれもさることながら(さすが新潮社!)、
回答内容が他に類を見ない充実ぶり。
たとえば、こういうアンケートをやると普通は、
「ベスト10といわれても、ちょっと思いつかないので3冊だけ」とか、
「専門分野から選びました」とか、へたすると自分の訳書ばかりを何冊もあげている人がいたりする。
ところがこのアンケートでは、
129人の書き手がみな、「一読書人」としてアンケートに答えているような感じで、
「気難しい人」というイメージの老大家が、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』をあげていたり、
読書家で知られる俳優が、矢野浩三郎訳の大エンタテイメント小説『大聖堂』をあげていたり、
憧れのフランス文学者がチャンドラーの『長いお別れ』をあげていたり、
リストの後のコメントを読んでいても、129人の読書人たちの「素顔」が見えるような気がして、
とても楽しい。
アンケート依頼時に、どれくらい条件をつけ、どれくらい自由に書いてもらい、
どのような資料をつけたのか、知りたいくらいだ。


この「大アンケート」の部分は、それこそなめるように読んだ。
長いつきあいの翻訳仲間が、立派な作家先生や翻訳家たちと同列でアンケートに答えているのをみて、
嬉しいようなつらいような、甘酸っぱい気持ちになったり、
尊敬する翻訳家がコメントのところでさりげなく同居人の名前を出してくれていて嬉しくなったり、と、
ほんとうにあらゆる面で愉しませてもらったアンケートだった。
そしてこのアンケートを読みながら、ずうっと考え続けたのは、やっぱり、
(だれにもたのまれてないんだけど)自分だったら、このアンケートにどう答えるか、ということだ。


いつか荒川洋治さんが、「こういうベスト10みたいなのは、その瞬間のベスト、でしかないんです。
1年後、いや、5分後には、もう変わっているかもしれない、今のぼくにとってのベスト、ということです」
というようなことをおっしゃりながら、ベスト10の紙を配ってくださったことを思い出す。
たぶん、129人の方々も、そういう思いで新潮社に出されたにちがいないので、
わたしも、今この瞬間のベスト、ということで、直感的に並べてみる。
初読の読了順。

1 デフォー『ロビンソン漂流記』(吉田健一訳)
2 デュマ『モンテ・クリスト伯
3 ユゴーレ・ミゼラブル
4 カズオ・イシグロ日の名残り』(土屋政雄訳)
5 フォークナー『八月の光
6 オースティン『高慢と偏見』(中野康司訳)
7 グレアム・スウィフト『最後の注文』(真野泰訳)
8 ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳)
9 ドリス・レッシング『黄金のノート』
10 カニンガム『めぐりあう時間たち』(高橋和久訳)


1〜3は10代前半に読んだ本。
4〜10はすべて30代以降に読んだ本。
こういう分布になった理由ははっきりしていて、
わたしは子どもの頃は外国小説が大好きで、
小学校の図書館にある子ども向けの文学全集のようなものを読破し、
その中でもとくに好きだった物語を、早く「大人向けのちゃんとした本」で読みたいと、
かなり背伸びをして文庫本を買ったり、親の本棚から取り出したりしていた。
それが、高校生ぐらいから急に外国小説に興味がなくなり、
日本の小説ばかり読むようになって、
結果、20代の終わりに翻訳家を志すようになったとき、
あわてて外国文学を読み始めた、という事情がある。
今は翻訳の仕事からは離れてしまったけれども、
外国文学(翻訳文学)の楽しさを再認識できたという意味では、
30代の翻訳修業はわたしの人生においてはきわめて有意義だったのだろう。
外国文学、日本文学、ノンフィクションなど、ジャンルを問わず驚異的な読書家である、
同居人の影響ももちろん大。


ベスト10に入れられなかった作品のリストが20冊ほど、
哀しげに、頼りなげに、下に並んでいたのだけれど、
ええい、ときっぱり選択してDeleteキーを押した。
この20冊を書いてしまうと、あ、あれも忘れてた、これも捨てがたい、と、
自分の読了した本の壮大なリストになってしまいそうだから。
それほど、海外の長編小説は「はずれ」がない。
これは、「海外」のものをわざわざお金をかけて版権をとって翻訳者に訳させるわけだから、
それなりのレベルのものしか日本には入ってこない、ということと、
「長編小説」で「はずれる」とかなり悲惨なので、
読み始める前にそれなりに選んでいる、ということが理由なのだろう。


アンケート以外の記事も、みな、おもしろかった。
丸谷才一池澤夏樹のインタビューも、「またこの人たちか」という気持ちが正直あったのだけれど、
今まで読んだものにはない、内容の濃さだったと思う。
よくわからないけれど、これは聞き手の湯川豊さんという方が相当な博識で、
話の聞きだし方もものすごくうまい方なんじゃないだろうか、と思った。
最後に控えめな文字で入っているプロフィールを見たら、元「文学界」編集長で、
文藝春秋の取締役までつとめた方。なるほど。


今日のエントリーのタイトルは、
「検証座談会 青山南 加藤典洋 豊崎由美」の内容からとった。
豊崎さんは当然ながら、青山さん、加藤さんといった「大家」たちも、かなりリラックスした「ぶっちゃけ」スタイルの対談で、
これもとても楽しく読んだ。
この雑誌を買おうかどうか迷っている人は、まずこのページを立ち読みしたらいいんじゃないかと思う。
これがおもしろかった人は、きっと雑誌を買ってすみからすみまで読みたいと思うはずだ。
まさに、「翻訳小説への深く熱い愛にあふれた座談会」。
その中で、豊崎さんと青山さんが、海外文学のコアの読者というのは3000人くらいだ、という話をしている(95ページ)。
それに関連した豊崎さんと加藤さんの会話を少しだけ引用。


豊崎 私は翻訳文化の存続にはすごく危機感を覚えてて、
   いま買っておかないととか、自分が買っとかないと売れない、
   売れないと出してもらえない、どうしよう、という恐怖心があって、つい目につく端から……。
加藤 すばらしいね、宝のような人だね(笑)。
豊崎 そういう人がたぶん全国に三千人はいるんですよ。その三千人を大切に……。
加藤 ……うちたぶん千五百人ぐらいはもうお年を召しているわけだから、
   下の世代を育てていかないと目減りする一方。
(中略)
豊崎 とにかく三千人はキープ運動を今後も推進していきたいとは思ってます。
(101・102ページ)


はいっ、はいっ。賛同します!!
……ってミーハーに手をあげてる場合じゃないんだよな。
仮にも出版社に、それもジャンルとしてはそう遠くないものを得意分野とする出版社に、
編集者として勤務しているにもかかわらず、あたしはいったい毎日何をしてるんだ。


というような個人的な感慨はともかく、
今回の「考える人」のもうひとつの目玉(とわたしは思っている)、
レドモンド・オハンロンコンゴ・ジャーニー』(土屋政雄訳)冒頭について、ひとこと。
これは、ものすごくおもしろそうだ。
旅行記はあんまり……」という人は、ぜひ、この冒頭部分を読んでみてほしい。
ジャンルは何かと問われれば、もちろん旅行記なのだけれど、
そこに描かれている出来事のなんとなく滑稽な感じ、
オハンロンをはじめ出てくる人々の個性ゆたかな人間味あふれる会話や行動、
うまく言えないけれども、とびきり上等のエッセイを読んでいるような気分。
かつて共訳したブルース・チャトウィンの『どうして僕はこんなところに』に、
よく似たにおいがする。
刊行は4月末とあるが、さりげなく「上下」と書いてあるから、かなり大部なのだろう。
土屋政雄氏という最高の翻訳者を得て、満を持して登場の『コンゴ・ジャーニー』、
3000人の仲間たちとともに、首を長〜くして待ってます!!