井上光晴『地の群れ』

地の群れ (河出文庫―BUNGEI Collection)

地の群れ (河出文庫―BUNGEI Collection)

木曜日、かつての翻訳仲間と神田の三省堂書店で待ち合わせ。
「絶版文庫フェア」というのをやっていたので、皆でしばらく棚をながめる。
ここのところ、『水滸伝』を筆頭に比較的読みやすく一気に読める本が続いているので、
ちょっと骨のある本を……と思い、この本を購入した。
「原爆、部落、朝鮮、炭鉱等、あらゆる戦後的主題を凝縮させ、
 虐げられた人々が虐げあう悲惨と残酷をえぐるなかから人間の条件を問うた、
 井上文学の核心を示す代表作。」とある。


これは、すごい本だった。
わたしの貧困な語彙ではとても説明なんてできないのだけれど、
これは、たとえば「差別は悪いことですよ」とか、「人間はみな平等なのです」とか、
「思いやりの心を持ちましょう」とかいうような、ストレートでわかりやすいヒューマニズムの対極にある。
そもそもわたしは何かを「糾弾」するとか「弾劾」するとか、そういう話は苦手のはずなのだけれど、
(解説によれば)「永遠の弾劾者」井上光晴の「代表作」であるというこの小説を、
かなり熱心に読んだ。(熱心に、という言葉が適切だとは思わないのだけれども、
おもしろく、とか、楽しく、とかは当てはまらないと思うので……あえていえば、どっぷりと入りこんで読んだ、という感じだろうか)


解説にはいろいろ難しいことが書いてあったのだけれど、
わたしはこの小説の一番すごいところは、会話の力、語りの力だと思う。
作品のかなりの部分が、登場人物の会話、あるいはひとりごとのような語りで占められている。
原爆投下直後の長崎の様子も、話し言葉で描かれているから、話し手の主観が入る。視線もあちこちにとぶ。
登場人物たちは(当然ながら)、自分の境遇や行動、考え方を、論理的に説明することなんてできない。
だから、彼らの言葉はいつも、非論理的で、自分中心で、愚かなまでに稚拙だ。
この、最後には殺人まで引き起こしてしまう稚拙なことばの連続が、
戦後の繁栄の中でぬくぬくと育ったわたしのような人間にも、ものすごい迫力と現実感でせまってくるのだ。
「かわいそう」とか「ひどい」とかいう、高みにたった感想を決してゆるさない、
わたしという読者をその場に連れていって「どうだ!」と突きつけてくるような小説だった。


この重い小説を、わたしは銀座線の車内で読み終えた。
今日は青山ブックセンター野崎歓さんと堀江敏幸さんのトークショーがあり、いつもは渋谷から歩くところなのだが、
この本をあと少しで読み終えそうだったので、一駅だけ銀座線に乗ったのだ。
重苦しい読後感をかかえて、トークショーの会場へ向かう。
サイン用に野崎歓赤ちゃん教育』と、堀江敏幸『めぐらし屋』を購入。
トークショーの最初に、古典新訳文庫の編集長、駒井さんが挨拶をされた。思っていたより若い感じだけれど、おいくつぐらいかな。
「古典新訳文庫は、この先もずっと続けていきます」と宣言。おおっ。がんばってついていきます。
続いて野崎さん、堀江さんが登場。野崎さんの笑顔を見たら、さきほどまでの重苦しい気分はふっとんだ。うーん、やっぱり素敵だなあ。


……今日はくたびれてしまったので、トークショーの詳しい報告は後日。
読書を中心にだらだらすごした9日間のお盆休みが、ついに終わってしまう。
一緒にすごした雑多な本たちと、久しぶりに会った同世代の女性たちに感謝しつつ、
予定の半分しかこなせなかったお掃除予定表に頭を下げつつ、
お盆休み最終日の床につく。眠れるかなあ……